金沢の歴史

芋堀藤五郎が砂金を川で洗ったのが『金沢』の発祥のいわれという。
長亨2年(1488)民衆が蜂起し一向一揆が守護大名・富樫政親を倒して日本史上初の共和国をつくり約百年間続いた。中心に御山御坊(金沢御堂)を設け寺中町が出来たが、織田信長の軍が加賀に攻め入り、柴田勝家の甥の佐久間盛政が御山御坊を占領して尾山城とした。
その後、勝家を破った豊臣秀吉により加賀・能登の領主となった前田利家が天正11年(1583)4月28日に入城して金沢城とし、3百年の間、前田藩の本拠地とした。
2代利長は東軍徳川家康につき、その功績で百万石の大大名となった。3代利常は家康の孫娘・珠姫を奥方にし、文化振興に力を注ぎ、5代綱紀ら藩主が継承して、金沢は天下の書府と讃えられた。明治以後は旧制第四高等学校(四高)の開校や、文学・美術工芸などの成果で、伝統や文化の街として知られている。

 

野田山墓地は歴史の宝庫

大乗寺に隣接する広大な墓地は上の方に藩主前田家の一族の墓、くだるに従い重臣から下級武士へ。麓は一般市民の数多くの墓が化石の森のように広がる。利家豪姫も・・・・・犀星もここに眠る。

 

『金沢』の地名の源「金城霊沢」

兼六園に隣りあう金沢神社横の一角に『金城霊沢』がある。千年以上むかし、芋堀藤五郎が山芋を掘り洗うと砂金がとれたという伝説の泉が現在もこんこんと湧いている。

 

 

金沢文学碑めぐり

金沢はゆかりの作家や詩人などが20人以上も数えられ、多くの作品の舞台として描かれる文学の街だ。近代文学館や市内に数多い文学碑や作品の舞台を巡り歩いてみよう。

文学碑など

 
泉 鏡花 碑 久保市乙剣神社
泉 鏡花 碑 卯辰山 入口
井上 靖 碑 石川近代文学館
室生 犀星 句碑 宗源寺(海月寺)
室生 犀星 碑 犀川畔
室生 犀星 墓 野田山墓地
徳田 秋声 碑 卯辰山山頂
鈴木 大拙 碑 本多町
松尾 芭蕉 句碑 犀川大橋上流左岸
松尾 芭蕉 碑 兼六園
千代女 句碑 念西寺
千代女 墓 専光寺
西田 幾太郎 碑 卯辰山入口
三文豪像(鏡花、犀星、秋声像) 白鳥路
文学の故郷 碑(鏡花・秋声 碑) 馬場小学校
滝の白糸 碑 浅野川

文学館など

 
石川近代文学館 広坂通り
ふるさと偉人館 本多町