古稀、生きることが古来、稀なりと言われた時代に、七十歳は大変な長寿であった。
 この年になって『おじいちゃん』と呼ばれることに抵抗を感じ、素直な気持ちで受け取れないのが現実である。
 しかし、自分でまだまだ若いと思っていても、物忘れがひどく、挙動にもスピードを欠き、そろそろ背筋も曲がり、肉体的にも老いの兆候が現れ、誰からみても強がりとしか見えない。
 周りの人達の死に接すると、人はやはり死ぬのだと、素直に受け止める事もできるし死に対する認識も新たになってくる。
 生物学者は心臓が十五億回打つと、ゾウもネズミも人間も死を迎えると言われる。どこまで数えたか分からないが、少しずつ終りに近づいていることだけは確かである。
 天災に遭遇し、肉体的大病を患い、精神的苦痛にも耐え、四苦八苦を乗り越えてきたこの小さな我が身を振り返ると、脆く、惨い川面に浮かぶ一つの泡の如きものであると痛感する。何時消えて無くなるかも知れない。生まれては消え、消えては生まれる泡の一つとして、この世に命を頂いた、不思議なご縁に、感謝の念で一杯である。
 生き様はさまざまなれど、人生と言う大河を流れる泡の一つとして、心にのこりし事柄を書き留め、自己省察の良縁とし、これからの 『おまけの人生』に少しでも善行を修めるようになればと念じている。

平成17年 12月
 

泡一つ (目次)